
しっかり者の落とし穴
- しっかりしなくちゃ
- 頼りになる存在にならなくちゃ
- きちんとやらなくちゃ
私は昔から、「誰に対してもきちんとありたい」と、なるべく早く、何事も、さっさとやって、質問にはすぐにきちんと返事をするタイプでした。
プライベートでも、食事・旅行・色々な手配ゴトetc…ありとあらゆることを、なんとなく、自ら率先してやっていました。
そんな性格が高じて、「段取り」を組むことが多い秘書の仕事についたといっても大げさではないかもしれません。
自分で決めたほうが好きなようにできるし、「大丈夫かな、ちゃんとできてるかな」と心配したり待ったりするストレスもない。
いつのまにか、「やるのが当たり前」のように生きてきました。
でも、積極的にものごとの中心にいることで、
- 自分が疲弊したり
- 不必要な話に巻き込まれたり
- 利用するだけ利用されたり
- 質問はしてくるくせに答えはよこさない相手にイライラしたり
なんてこともしばしば。しっかりしすぎるあまり、精神的に疲れてしまうこともありました。
そして、ストレスが溜まってきた時に、ふと思ったのです。
- あれもこれも、べつに私がやらなくてもよいかも?
- 全部のことに返事する必要ないかも?
- 自分が勝手に相手に期待して、疲れてるだけかも?
そう思い始めてから、落ち着いて周囲を見渡すようになり、ある法則に気が付きました。
エライ人たちによる「返事をしない」の法則

10年以上、役員秘書をしていて実感したのですが、エライ人たちは、すべてに返事/対処をすることはありません。
最初のころ、私は、例えばメールが多すぎて、考えることが多すぎて、会議が多すぎて、出張が多すぎて、「返事/対処ができない」のかと思っていました。
もちろんそれもあるのでしょうが、そうではなく、明らかに「返事/対処を意図的にしない」という方法をとっていることがあることを知りました。
返事/対処をしないことで、暗に、
- 自分にとっては優先順位が高くない
- 自分たちで考えてやれ
- 誰かに任せたからよろしく
ということを示している場合があるのです。
そして、本当に自分にとって重要な相手・重要な話だけに返事/対処をすることでそれに集中し、重要なモノゴトを推し進めて成し遂げていくという取捨選択をしていることを知りました。
もちろん、ただただ埋もれてしまったり忘れてしまっているだけということもありますが、それは、埋もれさせたり忘れたりできる程度の重要度の低さだ、と考えることもできるのだと思います。
では、返事が来ない・対処してもらえない場合、その相手はどうするでしょうか。
どうしても返事/対処が必要なら・・・

どうしても彼らの返事/対処がほしい場合、相手はどうするでしょうか。
当たり前の話ですが、催促するか、再度お願いしに来ます。
ですが、不思議なことに、私の経験上、催促もなければ再度お願いされることがないことも、とても多いようなのです。
つまり、自分たちでなんとかしている。
返事/対処をしないことで、部下たちや周囲が動き、どうにかしてモノゴトを形にしていくのです。
結局、「なんとかなってしまう」ことが多いのです。
それで、部下や周囲が文句を言っているかというと、そうでもない。(少しはありますが)
むしろ「任せてくれた」と好意的に受け止めている人がいることもあります。
Let It Be, Let It Go

そんな状況を何度か見た私は、「モノゴト、全部自分でやろうとしなくてもいいのだ」と気づきました。それ以来、
- 意味がわからないものや返事に困ったものは見なかったことにして放置して寝かせて
- 自分が必ずやらなくても良さそうなものは率先してやらずに黙ってスルーして
- 毎回なんとなく気を使って私から声をかけていたこともスパっと辞めて
- 返事が必ず必要なものは催促が来るでしょうし(そういうものを放置すること自体ないですが)
- 私がやったほうが色々と効率がよいことなら「やってくれ」と誰かが頼んでくるでしょうし
- 毎回私から言わないとやらないことは、案外、他の人にとってはやらなくてもよいこと(=迷惑なこと)だったのかも知れないし
そう思うと、必要以上にイライラすることもなくなり、心が平和になりました。
最後に

大人になればなるほど、考えることも千差万別、優先順位も人それぞれだから、全部を同じペースでわかりあおうなんて、そもそも無理です。
大事にすべき人や優先すべきモノに対してはありったけの力を注ぎ、どうでもいいコトに対してはいちいちイライラせずに「まいっか、私にはどーでもいいコトだし。誰かがどうにかするでしょう。」とスルーする
- 返事をしない
- 積極的にやらない